パンクであれ。
ロックであれ。
Be Punk. Be Rock.
「昨日の情報はもう古い」と
言わんばかりに
あらゆるものが情報化される昨今の超情報化時代において
その変化スピードは、日々加速度的に早まっている。
そんな、200年に一度と言われる人類の大きな転換期の中で私たちは生きているが、
未だに消費されるためにクリエイティブが行われ、そのクリエイティブもまた消費されている。
承認欲求のために思想や人間性までもがファッション化され、
どれだけ稼いだか、どれだけ有名かという尺度がステータスのままだ。
カッコイイとは何か
オシャレとは何か
デザインとは何か
アートとは何か
20年以上、その問いと向き合うことから逃げなかった。
時に人を妬み、時に他者を批判し、
時に自信をなくし、
孤独に押しつぶされそうになることも、
また人に裏切られることも多々あった。
著書を読み、学んだことを実践し、
思想や生き方を磨いても
己の人間としての不器用さに屈服することも多々あった。
それでも、
なんとかここまで生きてくることができたのは、
様々な出来事の中で、様々な役柄を買ってくれた
たくさんの出会った人たちの恩恵があったからだ。
私の名前は西井秀樹という。
太陽の沈む“西”はすべてを破壊することを意味し、
“井”戸から水が湧き出ることから創造を意味する。
破壊と創造を司る“樹”の横で鼓を激しく打ち鳴らし、
集まる人々と共にその樹木の成長を促すその役目に
ひときわ“秀”でているという意味だ。
私は幼い頃から 人と違うことばかりをしてきたが、それは目立ちたいからではなかった。
感覚的に古いと感じるもの、つまり未来への持続性がないものを良しとせず、新しいものを「創造」しようと試みたこと。
おそらくそれが 結果的に、従来のものごとの「破壊」だったのかもしれない。
この生き方により、私は他者や集団との心の距離を感じるようになったが、しかし当たり前とされてきたことに合わせて 本音を隠して生きることの方が苦痛であった。
常に孤独がそばにあった私は、いつしか孤独について問い、考えるようになった。そして、人間が心に抱える闇と光が、「破壊」と「創造」のように表裏一体であることを知った。
闇の中で消えそうになっている、小さなロウソクの光。その光の尊さは、闇の中にこそ存在する希望であった。
私はその光に自身を重ね合わせ、小さくとも力強く燃え続ける、ひとつの光を信じた。
時に迷い疑い傷つきながら、私は人のために力を使い、人が喜ぶ姿、人が生気に満ちる姿に意義を感じ始めた。それを繰り返す中で、私の中の小さな光は、次第に大きく育っていった。
そうして私は、自分自身を認め、さらに愛情を注ぐことができるようになった。
今の私があるのは、孤独と向き合い続け、孤独であることを愛したからだ。
おそらく未来永劫、人の心の中から孤独という観念は消えないだろう。
しかし、人には孤独を愛する力がある。
そしてその先に見える世界が必ずある。
孤独感だけでなく、人の中にあるいくつかの観念は
私たち人類が未だその対処に蓋をするほど不器用でも、必ず私たちの中から生まれ続ける。
時代が変わっても、その変化の速度がどれだけ激しくとも、
私たちが人間であり、この世界に生きる以上、
私たち自身に何かを気づかせるために、私たちの観念は生まれ続ける。
これは、普遍的な事実だ。
しかし私たちが、自分自身と向き合うことをやめない限り、
その先の世界は 必ず存在し続ける。
私は称賛する。
志があるがゆえに 世間の常識と相対する価値観を生み出し、その狭間でもがきながら
それでも諦めず理想に生きようとする、勇敢な若きクリエイター(創造主)たちを。
対処することに不器用でも、蓋をせずに向き合い続ける尊い生き方を。
私の言葉に共感してくれた君を。
あなたの孤独な今を。
どうか、
時代遅れのソーシャルモラルに負けないでほしい。
コミュニティの同調圧力に負けないでほしい。
稼ぎだとか有名だとか、そんなステータス社会の尺度に負けないでほしい。
あなたの生き様そのものをクリエイティブしてほしい。
カッコイイとは何か。
その答えがわからずとも、自分の信じるかっこよさを
堂々と愛して、
ともに、かっこよく生きていこう。
Be punk. Be rock.